小学校へ行く意味□ 小学校へ行く意味~学校に行ってる時間はムダだという子どもの言葉を耳にしたとき~学習意欲を持っている生徒、集中力のある生徒になればなるほど、小学校の授業時間内には『待ち時間』ができてしまいがちです。 一方、塾では、成績別クラスのメンバーの学力に応じて微調整され、スピード感・緊張感を持った授業が常に展開されます。 私がいたような少人数のところでは、一人一人に対する目もいきとどきますし、 そこでは、同じ『志望校合格』という目標、共通の話題、また、悩みを共有できる友人も得ることもできます。 ハードな内容でありながら、知る喜び、考える楽しさを感じ始めて、 塾での時間から充実感を得ることができ始めた子どもの中には、 一部、小学校での過ごす時間に不満を持ってしまう子も出てきます。 小学校の先生の不満を漏らす子も少なくありません。 小学校での友達の話題が子どもっぽすぎてついていけない、つまらないという子もいます。 公立小学校の先生の中には、中学受験そのものを悪のようにおっしゃる人がいます。 それは、学習意欲を競争原理に頼りすぎるタイプの塾で疲れきっている子、プレッシャーからくるストレスを学校で周りの子を見下すことで解消しようとする子など、子どもの精神的な成長のバランスを崩した場面を見てこられたからだと思います。 現実として、公立中学を完全に否定することで受験から逃げられないようにし、さらに偏差値ランキング上でも○中以下はダメ!と煽ることで少しでも宣伝的価値の高い中学を受験させるところは多いですし、 保護者の方の中にも影響を受けられて、お子さんに普段から公立を否定しておいて、「○中か□中に合格しなかったら公立」というようなプレッシャーを与え、追い詰めるケースも「よくある話」かと思います。 いずれのケースにせよ、子どもに接する大人が、学校(公立もそうですし、偏差値ランキング上低いとされている私立も)や学校の先生を否定するというのは、 子ども達の精神成長という観点からは、よくありませんよね。 何にせよ「部分否定」は多少あっても、「全否定」は、子どもに先入観を植え付け、自分で考えて判断するという機会を奪ってしまうことになると思います。 私は、前者のケースが多かったので、毎年、1学期のうちにこんな話をしていました。 みんなが、授業開始時間よりもずっと早い時間に来てくれるようにもなったし、 授業時間もすごく集中できるようにもなってきて、合格に向けて成長してきたのを感じる日々で先生はとてもうれしく思っている。 そんな君らに授業をするのは、本当に楽しいよ。 でも、ときどき「小学校おもしろくない」「行く意味ない」というのが聞こえてきて気になっていることがあるから、ちょっと今日は話をさせてね。 塾が楽しいっていうのは、本当にいいことだし、それは難しい勉強に挑戦してわからないときも含めて充実していると感じるようになったからだと思う。それは、すごくいいこと。 ここで、みんなが、蹴落とすライバルとしてじゃなく、いっしょに励ましあう仲間としてつきあってくれているのも先生もすごくうれしい。 同じ志望校を受ける友達が休んだら、何も言わなくてもノートをコピーして渡してくれてるの知って本当にうれしかった。 この塾に来ているのは、中学受験する人ばかりで、似た者同士よね。 似た者同士ばかりがいる場所が、居心地いいのは、当たり前でもあるよね。 でも、君達が受験して、学校で学んで、自分を磨いてさぁ世の中のために役立つ大人となって活躍しようとしたときに広がる社会っていうところは、 本当にいろんな人がいるところなんだよ。 自分が絶対に正しいと思ったことに反対する人もいるし、 自分が当然だと思っていることを知らない人もいるし、 自分がおもしろいと思っていることをつまらないという人もいるし、 自分の敵になる人も出てくるかもしれない。 自分と合わない人全員から逃げまくるという弱い大人になって欲しくないよ。 そういう自分とはちがう環境で育った人、立場や考え方のちがう人に、どうやったら自分の気持ち、考えをわかってもらえるか考えることも大事。 君らが大人になる頃は、当たり前に外国人と仕事の取引とかする人も多いだろうね。 いろんな人がいる、その中で自分の居場所を見つける。 どうしても譲れない自分の主張をどうしたら理解してもらえるか考える。 どうやったら相手の考えている気持ちを自分もわかってあげられるかよく見つめてみる。 イヤな人だけど、本当は何か考えがあるのかもしれない。 そういうことを考えられる人に、なって欲しいなぁ。 「キライ」「合わない」と後ろ向くばっかりじゃダメよ。 せっかく勉強していい学校に入っても、人間関係上手に作れないとリーダーにはなれないよ。 いろんな考え方の人、いろんな立場の人の中で、自分をどう伝えていくかっていう、本当に社会に出てから役に立つこのことを、 私は君らに教えてあげることができないんよ。 それは、似た者同士が集まる塾では絶対に教えてやれない。 それを生活の中から学べるとしたら、小学校だけだよ。 特に、受験をして私立中に進もうという君らは中学もある意味似た者同士の世界に入る。 そんな君らにとっては、小学校での日々は、大切な時間だよ。 塾で勉強しているよりずっと高度な勉強かもしれないね。 いざこざがあったり、仲良しがいたり、けんかがあったり、グループがあったり、・・・そういうのからしか学べないことがあるよ。 あと、学校の先生は、肝心なところで全然叱ってくれないっていうのもよく聞くね。 立夏先生は、毎日何か注意してるもんね。笑。 細かいことから必ず注意してる。 でも、立夏先生と小学校の先生は目的がちがうんよ。だから叱るときと叱らないときと分かれてるの。 立夏先生は、君達を1年以内(5年生に話をしているときには2年)に志望校に合格する子に育てないといけない。 期限が短いから、気がついたらすぐに注意!同じこと何度も注意していたら、その次の課題をマスターする時間がなくなるから焦る。だからすぐに注意するし、2回目だとキツーい注意になる。 学校の先生は、だいたいの生徒が小学校から公立中学に行くはずだから、 あと4年間(5年生は5年間)で、しっかりルールの守れる人に育って欲しいと思っている。 まだ何年も先に期限がある。だから、先生に注意されて無理やりに教えられるのではなくて、 自分で気がついて直せる子になるようにって、わざとすぐにはその場で注意してないで考える時間を作ってくれているんだと思う。 叱る目的も、想像している未来もちがうから、叱り方も叱るポイントも違うんだと思うよ。 注意しないからと言って、それを悪いことだと思っていないというわけじゃないし、ましてや許しているのでもないよ。 注意する方が楽だもの。 「見守る」といういちばん時間もかかる方法で君らが自分で大人になっていくのを待ちながら指導しているんだと思うよ。 塾の先生の立夏先生は、自分の好きな科目を徹底的に教えることに専念できるから高度なことも教えてやれるけど、 小学校の先生は、ほとんど一人で科目全部でしょ?すごく大変な仕事してあるなぁ~って心から思うよ。 少なくとも、君らは先生たちが考えてくれていることや裏で準備してくれていることも知らずに、小学生の分際で「あの先生あかんわ」なんて言えるものではないと思うなぁ。 それでも、どうしても納得のいかないことをする先生がいたら、 それは、「私立にいく僕のために『似た者同士』でない勉強をさせてくれている」と思って、自分の気持ちをわかってもらう説明を考えて、話をしてみるといいよ。 つらい気持ちになったっていうグチなら、私もどれだけでも話は聞くからね。 小学校で過ごす時間も塾で過ごす時間も、君達を育てる大切な時間。 接する人全てがなにかを教えてくれているはずだから、大切にしてね。 (みんなにはこういう話をしましたが、ただ、どうしてもこれは・・・というケースもありました。その話はまたいつか。) 今日もおつきあいありがとうございます。 → ※このブログを応援してくださる方は、足跡代わりにぜひこちらをクリックしてくださいますようお願いします! 今後の更新がんばりますのでぜひお願いします! →次の記事を読む →TOP(FREE PAGE 記事一覧)にもどる。 |